


おさむ講師による、進路学習の授業も最終回を迎えました。
今回のテーマは、「かくしん」
僕らはどこに住み、誰と、何をして過ごすのか?
このテーマを、みんなと考える時間になりました。
・僕らは誰から支援されているか?

「普段、あまり気にして考えることがありませんが、当然いろいろな支援をうけているわけで、これすべてが、僕らを取り巻く『社会』なんです。学校を卒業するということは、自分を取り巻く社会の図が変わっていくことなんです。」
「『僕らはどこに住み、誰と、何をして過ごすのか』というのを具体的に「なぜそうするのか?」というのを考えないとあいまいになって挫折することになります。そういう所を自分で突き詰めないでいると、人の考えたことだけやって「誰かが行けと言ったから」とか「誰かがやれと言ったから」になって他人のせいで終ってしまいます。結局の所「自分はどうしたのか」の選択は、自己選択し自分自身が決めることです。みんなは学校にいる間は自分の将来について修正・リセットはまだ可能ですが、卒業後に修正するのはかなり難しいものがあります。だからこそ今・この時間にも将来どうしていきたいのか、具体的に自問自答したり、先生と相談したりして一番良い、納得する選択を自分でしてほしいと思いす。時間はわずかです。」
とのこと。
講義の中で、「病院を将来退院したい」といった、生徒に「なぜ?」と質問をしていた場面がありました。
「だって、自由がほしいんだもん。自由はだめ?」
「いや、良いも悪いも、それを決めるのは、自分だから」と。。
私達支援者は、教える側にたってしまうと、
「あなたは、○○にはむいていない・・」
と、人の能力を評価する立場になることがあります。
人が人をさばく(能力を決定する)こととはどういうことなのでしょうか?評価される側は、なにを感じるのでしょうか?
いろいろな場面でこうした、能力評価が行われていますが、いくつその可能性がつみ取られてしまうことになっているのでしょう。
私達ができる支援は、環境の提供くらいなものです。
今回の講義で感じたのは、そうした「おさむくん」の講義を通して、可能性を決してつみとることではない、公正な視点を見たように思います。