さあ、絵本職人の登場だよ。
ファンタジーな作品でおなじみの『まこと』くんが、新しい領域への突入だ。
パソコンで描くのとはひと味違う、水彩での柔らかなタッチ。
通りかかったみんなからも、「あ!パソコンよりいいじゃん」との感想。
近日公開です。
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さあ、絵本職人の登場だよ。
ファンタジーな作品でおなじみの『まこと』くんが、新しい領域への突入だ。
パソコンで描くのとはひと味違う、水彩での柔らかなタッチ。
通りかかったみんなからも、「あ!パソコンよりいいじゃん」との感想。
近日公開です。
昭和38年。札幌にある大学病院の整形外科病棟に小学校5年生と6年生の2年間入院した。入った病棟は大部屋で15人ほど。大人の人ばかりだった。
毎日検査ばかり。学校はなく、遊びといっても病棟を散歩するくらい。たまに、大人の入院患者さんに将棋を教えてもらった。
病院を抜けだしたこともある。その頃には、同じくらいの年齢の子もいて、数人で何度も抜け出した。病院の近くには、焼き芋屋やトウキビ屋があり、よく買って食べたことがあった。
翌年の昭和39年には、東京オリンピックが開催された。病棟では、テレビが一つだけあり。人だかりができていた。その頃、病院にまだ数少ない車いすにのってみた。興味があったからだが、こぐのが楽で早く動けた。それから、歩くのをやめた。今になってみると、ちょっと後悔だ。
中学になるときに、八雲に入院した。当時は、まだ養護学校はなく、ひまわり分校だった。養護学校の設立は昭和45年だ。
教室は、病院の中にあって、3つの部屋があった。午後からの授業だった。
19歳。周りの人がバタバタと逝ってしまった。。
その日は突然だ。看護師さんがいつも部屋に来る時間に来なくなる。いつもは持ってこない、段ボールが置いてある。いつもと微妙に違う空気感。
Aがいなくなったときもそうだった。
夕方。僕のベッドの向かいのAが、具合が悪そうに、看護師さんに聞こえないくらいの小さい声で、「看護師さん来てー」と呼んでいた。ちょうど、夕食後のおやつを食べた後だ。
「どうしたー?」「インターホン押せるかー」ってきくと、「逃げられたー」って。自分も焦ってしまい押せなく、隣に頼んだ。
すぐに看護師さんが駆けつけたが、だんだんと意識が落ちていた。
アンビューバックでベッドごと運び出された。
僕はずーーと、ドクドクなっていた。しきりに部屋の人に、「大丈夫かな?」「帰ってくるかな」って悲しくなって聞いていた。
「帰ってくるサー」
夜8時くらいまで誰もこなかった。
遠くから、「Aのばあちゃん呼んでー」っと看護師さんの声が聞こえた。
しばらくして、先生が、何もいわずに、部屋にはいってきた。ベッドのないそのスペースの棚をしばらく、眺めた後。
軽くおじぎをしていた。
遠くから、「カシャンカシャン」と、音が聞こえた。病棟の入り口の自動ドアの段差で、ストレッチャーが弾んだ音だ。
横になった僕のベッドから、遠くに、ストレッチャーにのった、タオルがみえた。
翌日、先に車いすにのった、同室の人に聞いてみた。
「どう?」「いなかった。。」
運ばれていった部屋には、誰にもいなかったようだ。
過ぎるのが早く、一瞬だ。泣いてもいられなかった。
その後、社長というあだ名でしばらく呼んでいた。名前で呼ぶとつらくなるからだ。
「ゲームやったり、すぐ泣いてたよねー」と友達と話した。
僕の目の前の空いたままの空間。しばらくの間辛かった。。
Q.病院の備え付けのナースコールが使えないため、病院側に他に患者本人にあったナースコールを病院側のお付き合いの業者さんに探して頂きたいと相談したところ、アーム式センサースイッチしかないと言われました。患者の病名は難病の筋委縮性側索硬化症です。他にいろんなタイプのスイッチがあると聞きましたが、どんなものがあるかを教えてください。
A.ご質問ありがとうございます。筋萎縮性側索硬化症の方の場合では、比較的早い時期に筋力がなくなる場合があります。少し先を予測して進行にあわせたスイッチを探してあげた方がよいかもしれません。
通常、筒型のボタン式スイッチ(一般病院で常備されているナースコールスイッチ)が使えなくなると、押す力や形状を工夫します。
ナースコールの工夫を考える際は、施設内でどこのメーカーのシステムが入っているかを確認します。
国内大手の(株)ケアコムでは、オプション製品が用意されています。
その中では、ソフトタッチスイッチ、または、マルチケアコールが該当するかと思います。
http://koresupe33.dtdns.net/corenews/diary.cgi?no=386マルチケアコールは、「光」「音」「タッチ」と3種類のセンサが内蔵されています。
それ以外の対応では、本来ナースコールとしては許可されていないコミュニケーション機器のスイッチを施設とご本人の了承を得て流用していく方法です。
国内では、数社が取り扱いをしています。
パシフィックサプライ株式会社
(ただし、スイッチそのままではナースコールスイッチとしては利用できません。施設のナースコールシステムに合う用に工夫が必要です。
検討したいのは、
押しボタン式スイッチ
タッチスイッチ型
ファイバースイッチ型
PPSスイッチ
などです。詳しくは、こちらをご覧ください。
横一列に並んで、パソコンでお仕事をしています。
お気づきですか?電動車いすの荷台には、呼吸器が搭載されています。
コレスペにくる面々は、16人ほど。歩ける人は一人もいなく、全員が電動車いす。中でも、最近は、24時間の人工呼吸器の方も多くなってきました。
それでも、「何かできることがあればしてみたい。」と、気持ちを維持し続けられるのは何故なのでしょうか?
本日も、マネージメント係の担当者に、「何か仕事ないかな?」と声を積極的にかけている人がいました。
当時の病棟は、今の小学生と違って、ゲームやCDなどのあそび道具は一切禁止。
だから、学校にいかない時間は暇をもてあまし、いたずらや喧嘩が遊びのようなものだった。
例えば、僕が同じ部屋の子に命令して、コンセントに針金を押し込ませるいたずらをしたことがあった。
僕はしたたかなほうだと思う。
それでもちゃーんと危なくないように、ビニール巻いていたのだが、ビニールが溶けて、コンセントについてしまった。はがそうにもはがれない。案の定しばらくして、看護師さんにみつかった。
「なにこれ!」こっぴどくおこられた。当時は、何でも連帯責任。罰といっても、筋ジスだから立たされることはないんだけどね。
首謀者の僕以外のみんなも本日のおやつ抜きの罰。
でも、まだ話しの続きはあるんだ。
僕のいた部屋は8人部屋。ベッドはなく、畳で布団を敷いて寝起きしていた。
その日の夜。消灯してから、仲間と相談し、2~3人が、配膳室に置きっぱなしになっている、みんなのおやつをこっそりと職員の目を盗んでとりにいくことに。
しかし。。。一人が廊下で転んで、見つかってしまった。。。
それから、一週間のおやつぬきに。。。
当時の病棟はしょっちゅう、いたずらけんか、とっくみあいだった。
僕らの喧嘩。。。はスローペース。ジャイアント馬場のチョップか?と思えるほど、スローモーションの動きのぱんち。だって、腕をちょっとづつ、頭の上までもちあげ、重力でふりさげるでしょ。
また、転んだら、膝からゆっくりと立ち上がって、また喧嘩。こんな感じだったんだ。
なんだろう。ある意味、筋ジスっていう病気だけど、普通の子と変わらなかった気がするなー。
小学4年に同級生と口げんかをした。
内容は今思い返してみても、些細なこと。確か。。「バカ」だのなんかって話だったと思う。しかし、そのときは、虫の居所が悪かったのだろう。なんか、カッときて、つい、そいつに突っ込んでいった。「おりゃーーーーーー」
しかし、ひらりと身をかわされ、僕はまったくの見当違いのほうへ車椅子を走らせ勢いあまって、ドアにぶつかった。
運の悪いことは続くものである。ドアにはガラスが入っており、見事にバラバラと割れていた。
その後はご想像のとおりで、二人の先生から、こっぴどくしかられた。「怒った気持ちはわかるけど物は壊すな」と。。。
怒りの気持ちはどこかに吹っ飛び、ただただ、アホだなーって思えた瞬間だった。
今日の教訓「怒っても物は壊すな怪我の元」
そんな僕を表すエピソードなら山のようにある。傷の絶えない小学生だった。同じ小学4年のとき、座る椅子がないからと教室にあったキャスター付きの回転いすに腰掛けた。
ほんと。。。じっとしていられない。。。そのまま、椅子を回転させぐるぐる回って遊んでいると、案の定。前のめりになってこけてしまったー。”ガッツーーーン”2本の前歯が折れてしまう。
お茶目の代償は高かった。。
その時に折れた前歯は今では、何を隠そう差し歯なんです。。
今日の教訓「おだってもバランスくずすな前差し歯」
おそまきながら、WINDOWS7です。
みなさんはもう導入しましたか?
私個人は、まだまだXPなんですが、ぼちぼち周りがWIN7に変えてきましたので、ちょっくらさわってみました。。
ユーザー補助。いいですねー。
例えば、スクリーンキーボード。これまでは、ATOKやIMEなどの文字パレッドでは、パスワード入力がうまくできないので、やもえず、スクリーンキーボードを使っているかたが多いようでした。
でも、好きな大きさにできないと、普段の入力ではちょっとでした。それが、今回、WIN7になって、リニューアル。
こちらでも紹介されています。
http://www.youtube.com/watch?v=m0HCWh8nPQs&feature=player_embedded#
まだの方、ぜひ一度ご賞味を。。
中学を卒業して、高等部への進学は、地元の肢体不自由学校を選択した。重度の身体と知的の障害をもつ脳性麻痺を主に対象としているみたいで、本当は筋ジスの僕はだめだったみたい。
「受験されても、落とさなくてはいけないかもしれないので、辞退してください。」って話しもあったみたい。それでも受験して、幸いにも定員ぎりぎりだったようだけど、おまけ!?で入学できたんだけどね。
でも、中学で一緒だった友達は、別の高等養護学校に行ってしまったんで、高校では、友達もできないだろうし、おもしろくないだろうって正直思っていたんだ。
なんだろう、どこか覚めた、寂しさがあったんだよね。
でも、実際入学してみると、ほんの一週間でその楽しさに気づいたんだ。カルチャーショックだった。うまくいえないんだけど、純粋っていうのかな。
それまでは、そんな風にはおもっていなかったんだよね。
中学のときも学校に、脳性麻痺の生徒はいたんだけど、遠目にみていて何か、でかい声で騒ぐし、何か違和感っていうのかな。距離を感じていた。
でも、今は、自分にないものをいっぱい持っているし。同じクラスになれてよかったなって。
確かに中学よりは、勉強に熱心になれなかったんだけど、それよりも、人間のよさ。人間っていいなーってことを学べた感じ。人と関わりをもつ、人はお互いに影響しあっているって。
言葉で教えられたんじゃないんだよね。雰囲気でかな。
先生が、かかわっているのをみていて、その影響力に、ただただ、すごいなーって。
誰でも人に迷惑をかけているってことは常に前提で、だからこそ、普段は人にやさしくしなくちゃって思う。
受験でも自分が受かると、誰かは必ず落ちている。
自分の行動が、いいか・わるいかはともかく、常に、周りに影響しているものだと感じたんだ。
コレスペには、いろんな人がつどっています。
ここでは、そんな彼らを紹介していきます。
コレスペに欠かせない存在なのが、『わっか』
彼女は自分の部屋以外では、とても無口。
でも、そんなことは感じさせないほど、楽しさへのアンテナは驚くほど、するどい持ち主です。
笑い声がする現場には、いつも彼女の姿があります!
そんな彼女も、しっかりとコレスペの仕事を担っています。時には、コレスペ広報!?の一員として、写真を撮りに行くことも。
不思議なことに、彼女は言葉を一言もいわないのに、皆さん決めポーズをしてくれます。(これは、彼女にしか撮れません。。)
また、絵のセンスは独特です。
いかがです?
そんな自由奔放な彼女には、『ジプシー』。。のあだ名がぴったりです。
本日は、レッツチャットでおなじみの松尾さんがご来店!
早速、上肢障害者用の携帯電話コントローラの打ち合わせ。
「僕は研究のための研究はしたくない。常に、実際使ってもらえて喜んでくれるものに関わりたい。」と、大阪の暑さをそのまま持ってこられたかのような熱さで話されていました。(^_^)v
ひさびさに、『あきよし』くんの部屋にいくと、最近はやりの「デジタルフォトフレーム」がおいてありました。
でも、この角度ではどうやっても自分では覗けません、
理由を尋ねてみると、自分の描いた絵を訪れた人に見せるためにおいてあるのだそうです。(^_^)v
小さい頃から、よく頭の中で独り言をいっていた。(今もやっているけど)自動車の効果音や、考えたことを自分の中で想像するんだ。想像遊びは僕の支えだった。
ばあちゃんや姉ちゃんには、「変な癖がつくからやめなさい!」って何度か注意されていた。良いことじゃないって。
今思えば、健常者になりたかったからだと思う。でも、そのときは、車を運転したいって気持ちや、寂しいって思いから。。。
早く大人になりたかったと願っていた。大人になると、力がつくと思っていたから。車を運転できれば、少しは気分が変われるかなって思っていた。
でも、高校生になっても、どんどん力は落ちてきた。ちっとも思っていたことと違う。歩いている時のほうが咳や肺の力があった。
でも、こうなるんだろうってことは、周りがそうだったから、昔から感じていたことだった。
だから、高校になったとき、「もう想像遊びはやめないって決めた」
卒業したとき、18歳で、想像遊びで車の免許をとった。
外泊のとき、家までは10時間くらいかかる。助手席に座っていても、十分にドライブの気分になれたんだ。
ハプニングといえば、家のお風呂でおぼれたことがあった。
小学6年のころの話。お風呂では、いつも手すりにつかまって湯船に入っていた。
身体を浮かしながら遊んでいると、おしりが急に浮いてきて戻らなくなった。。
「う。。息が。。できない。。」
顔がお湯につかってしまった。。
口と鼻が沈んでいる深さは、ちょうど1センチくらい。
とっさに、お風呂の水を飲んだ。
お湯を飲んだら水かさが下がると思ったからだ。
「・・・・だめだーーー」子供の浅知恵だった。
そんなことで、お湯が少なくなることはない。。
(そうだ。。栓を抜けばいいいんだ)
幸い水中だったので、身体は自由に動けた!
ゴゴゴと音を立てながら、湯船のお湯が少なくなっているのはわかったが、いっこうに、体は浮いてこない。それどころか、水かさと一緒に、身体も一緒に沈んでいく。。
どうやら、お湯がすべてなくならないと、顔はお湯から出られない。。。。
(パニックになった。。死ぬ。。。。。)
それまでの出来事が走馬燈のようにフラッシュバックしてきた。。。
(このまま死ぬわけにはいかない!)
ふと、我に返り、(仰向けになればいいんじゃないか)
必死に、身体を動かした。。。
そのとき。”ガラーっ”と、お風呂場をのぞきに来た母さんがいた。
(助かった。。。)
「おーーーい。何してるの?」冷静な感じで、声をかけられたのが聞こえた。。
「どっかいっちゃうよー。。(笑)」
必死に、横を向いた僕の表情をみてか、まずいと思い、助け上げてくれた。
「おしりがぷかぷか浮いているから、遊んでいると思ったよ~。あーびっくりした~」
こうして、僕の人生の中で1・2位を争う出来事の幕が閉じた。
それからしばらくは、おぼれる夢をみた。今でも、水に顔をつけるのは苦手である。
小学2年生の時。
教室でクラスメイトの二人が言い争いをしていた。
ほっとけない僕は、仲裁のため、二人の間に割って入った。
「何してんの?」
「うるさい!」と一喝され、そのまま口げんかは続行。。
言い合いの内容はどうやら、物をとったとられたと些細なこと。
「何そんなことで喧嘩してるんだよー」
すると、、、一人が、僕の胸ぐらにつかみかかってきた。
そのまま僕とそいつは床に倒れ込み、とっくみあいになった。
筋力が弱い僕のこと、当然、力で勝てる見込みはない。
そこで、出した奥の手は。。。。
「がぶり!」
思いっきり、腕に噛みついてやった。
「この!何だよう(怒)」とモグモグと反抗しながら、噛みついた腕は離さなかった。
しばらくして、「わかった。わかった。降参降参。離してくれ~」
意外と歯って強い!
後日、そいつの親と自分の親がお互いに謝罪していたというのはいうまでもない。。。
彼のベッド周りに、病棟スタッフも集まり一言。。。
「でかい。。。」
これまでだいたい、重さの関係から、液晶モニタの大きさは15インチから17インチ。
今回は、CANDELAの22型ワイドとビックサイズ!
「まるで映画館だー」
(^_^)v